知性とは

ウォズニアックが勝手に、ミスターマコラムというあだ名を付けた先生が、ある日授業時間にシルバニアという会社で作業をさせてくれることになったそうです。先生は、彼が授業内容を既に全て理解していて、みんなにいたずらばかり仕掛けていたので、実際にコンピューターのプログラミングを学んだ方が良いと言ったそうです。この時彼は初めてコンピューターに触れ、プログラミングを体験したそうですが、その時点で最終的な解に到達するまで10年もかかるプログラムを書き上げたとか・・・。証明問題にすらめちゃくちゃ苦戦している大学生の私には想像できない人物像だなと改めて感じました(笑)

 

彼は、その頃、なんでも知っているかのように賢そうに、自信たっぷりに話すことのできる「先生」という存在をとても尊敬していました。しかしやがて、「みんなと同じものを読み、同じことを言えば、周りに賢い人だと思われる」のに対し、本当の知性というのは「自分でいろいろなことについて考えてみる能力」であり、「言われたことを鷲掴みにするのではなく、真実を掴むために思うことをいろいろ質問することだ」と思うようになったそうです。

私もまさにその通りだと思います。ただ新しく得た知識や考えをそのまま受け入れるのではなく、それを疑問に思い、考え抜くことが出来てこそ、初めてそれを元に何かを生み出したり、新しい使い方を見つけ出すというステップに進めるのでは無いかと思います。

私はこの章を読んで、日本の教育についても考えさせられました。言葉やその定義、そして誰かが決めた形式的な「正しい解答」をひたすら暗記させ、それをどれだけ覚えられているかテストで試し、振り落としていくという今の日本の教育は、ウォズニアックの言う「みんなと同じことを読み、同じことを言って、周りに賢い人だと思わ」せることに許される限りの時間を費やさせ、「自分で色々なことについて考えてみる能力」を伸ばすための時間を子供達から奪っていると思います。

人生において大事な時期をそのように過ごすのは子供1人一人にとっても凄く勿体無いですし、日本のことを考えても、世界規模で考えても、多くの才能を無駄にさせていると思うので、変わっていく必要があると改めて感じました。